りんざいしゅう ばいでんざん さいほうじ
臨済宗 梅田山 西方寺
●住 所:桐生市梅田町1-266
●TEL:0277-32-1448  FAX:0277-32-1431
【本  山】 大本山建長寺
【本  尊】 阿弥陀如来 【開  山】 法光円融禅師
【開  基】 桐生国綱 【開  創】 観応元年(1350年)
【住  職】 天利秀峰 【副住職】 天利保永
年中行事
◆4月第二土曜日 大般若会 
◆12月31日 除夜の鐘
◆月3回火曜日 茶道稽古 
◆毎月第一日曜 坐禅会 
  夏4-10月午前6時より
  冬11-3月午前6時半より

○概略
 桐生氏(家)歴代の墓所のある西方寺は鎌倉時代末期より約650年以上の歴史があり、寺の伽藍は南向きの緩やかな岡の斜面に建立されていて桐生氏歴代の墓所の高台まで登ると眼下の景色も素晴らしく遠く富士山も年に数回観望できる。寺伝では、鎌倉時代安貞年間(1227年頃)野州の豪族宇都宮弥三郎頼綱公が出家して浄土門徒となりその仲間の者が当地へ来て堂宇を構えたのが本寺の草創である。その後当地の豪族桐生国綱公は観応元年(1350年)檜杓山(城山)に桐生城を築き、このとき浄土宗宝樹山西方寺を建立した。およそ40年後3代桐生豊綱公は禅宗の教義に共感し、当時の名僧峻翁令山和尚(法光円融禅師)を頼んで臨済宗に改宗した。令山和尚の記録によると明徳3年(1392年)5月1日とある。第1世の萬古梵亘和尚は鎌倉大本山建長寺第97代目住職を務めた高僧であった。その後約100年間は記録上空白となった。第2世天叟中樹和尚はあじさいで有名な現在の鎌倉明月院を塔頭とした禅興寺(今は廃寺)から来山し、9代助綱と共に本尊胎内銘文中にその名を残している。その後天正元年(1573年)桐生家は滅び寺は外護者を失うが、江戸時代前期までに末寺7か寺、塔頭二院を持つ本寺となり、また御朱印寺としても十五石七斗の寺領を江戸幕府より認められていた。文政6年(1823年)の火災では、わずかに本尊他仏像を残しただけで全山焼失し、資料等も失われた。大正時代には第24世徳隣和尚の時本堂が、昭和の第25世大道和尚の時旧庫裡、鐘楼が再建され、さらに現本堂、桐生塔が順次建てられた。現在の客殿・庫裡は平成15年に落成し、檀信徒や地域住民の方々に見守られ往年の姿を取り戻しつつある。

○寺宝および文化財
 ◇木彫阿弥陀如来像 本尊阿弥陀如来像は鎌倉時代末期のもので群馬県指定重要文化財である。
 ◇桐生家7代の位牌 西方寺殿一山天心居士(豊綱)以下7名の法名が記されている。
 ◇桐生家歴代の墓 多層塔一基と五輪塔十三墓他あり。南北朝のものあると推定されている。
 ◇桐生代炊介の鐙(あぶみ) 戦国の武将が用いた形式のもので大炊介が愛用したと伝わっている。

本堂
昭和54年建立 銅板葺き
間口9間奥行き7間半約70坪

本尊阿弥陀如来
胎内には永正18年(1521年)年
彩色修復の墨書銘がある。
桐生の塔(高さ約20メートル)
平成4年完成石造十三重層塔
基台には四方四仏あり
も ど る
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